何のために「努力する」のか?
今日の新聞で稲盛さんの語りをまとめた記事が目に留まり、
その中で最近気になっていたことの考え方が出てきました。
それは「努力する」という言葉についてのことなのですが、
最近ものすごく重要性は感じつつも、
今ひとつしっくりこない感じがあったんですよね…
そのようなちょっとした違和感が、
少し解けたような感じの部分があったのです。
それは、
努力は「負けないため」ではなく、
「生きるため」…
「生きる努力が足りない」から、
敗者になる。
という部分です(途中は略してます)。
「人と較べない」という話しにも通じるような、
そして本当の「努力」の意味を感じるような気がしました。
さすがです…
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